ご承知の通り、今日は、広島原爆忌です。
私の尊敬する方の一人に、佐々木博生(ささき ひろお)と言う方がいらっしゃいます。
佐々木博生先生(あえて先生と呼ばせていただきます。)は、
会社社長や県議会議長、佐伯市の市長を務められた方です。
多分、85歳は過ぎていらっしゃるとは思いますが、教養も深く、
お話していても飽きる事が有りません。
漢詩の趣味がおありで、今、自作の漢詩集をまとめていらっしゃると伺いました。
(私と姉の漢詩の先生でもあります)
15年ほど前に、中国の邯鄲市と友好都市の締結に市長として、 訪問団の団長を務められたのですが、(私も、当時、市議会議員として同行しました。)
友好都市の締結の後のパーティの最中、佐々木市長に記念に揮毫して欲しいと、 邯鄲市側の方が、大きな筆と紙をテーブルに用意し始めました。
書のお家元とも言える中国ですのでと遠慮されていましたが、 あまり熱心にお願いされるものですから、とうとう、書く事になりました。
会場にいた人が皆注視される中、
佐々木市長は、勢いのある字を一気に紙の上に書き上げたのです。
お習字は、何度も何度も練習して、いくつもの作品の中からやっと一つを選ぶ様な 字の下手な私にとりましては、その時の印象が強く残っています。
達筆にも拘らず、
「中学の時に学校で教えてもらっただけで、お習字の教室には行った事がない。」
と伺って、当時の教育のレベルの高さをうかがい知る事となりました。
佐々木先生は、
お年賀状には、七言絶句の漢詩
暑中見舞いには、俳句や漢詩
を書いてお送り下さいます。 凄い方とは思いませんか
そんな、佐々木先生は、広島高等師範(今の広島大学)を卒業されています。
原爆投下の折は、他所に行かれていて被爆する事は無かったのですが、 学生時代をすごされた広島ですので、当然の事ながら友人知人などは多かった筈です。
昨日、オフィスにおいでくださった時に、
「暑中見舞いの俳句に原爆忌の事は書くまい、もう辞めようと思っていても、 この季節になると、原爆忌の事を書かずにいられない。」 と言われました。
苦しく辛い時代を生き抜いて来られ、 政治家として、市民生活・県民生活の向上の為に尽力された生き方を私は、尊敬しています。 その原点は、戦争や原爆の体験かも知れないと思わせられた言葉でした。
その先生の、今年の暑中見舞いは
反核の声遠くなる原爆忌
でした。
コメントは、
暑中お見舞い申し上げます。反核で64年平和を維持してきました。 近来戦争を知らない世代が国民の多数を占めるようになった所為か、 次第に戦争に近づいているような気がします。 仮令他国が核を振り翳しても今まで通り反核・平和路線を続ける事を主張します。 向暑のみぎり何卒ご自愛をお祈りいたします。 「馬鹿でもちょんでも平和が良い。」
と結んでありました。
あなたは、今日の原爆忌をどの様な思いで迎えられましたか?
お亡くなりになられた方々に心よりご冥福をお祈りいたします。
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