教えたくなるケーキ屋さんに行って来ました。


美味しいケーキ屋さんに行きました。


砂時計で時間を計ります。一つ一つのティーポットに保温の為のカバーをかけて本格的ですよね。

ホテルで、紅茶を注文しても、此処まではしないですよね。

まず、ババロアを頂きました。お口に入れた瞬間おもわず、美味し~いsign03

優しいお味で、お口に中でふわーっと溶けていくんです。lovely

美味しいケーキ屋さんに行きました。



これは、いちごタルト

何てたってタルトのクッキー生地の美味しい事と言ったら・・・shine

美味しいケーキ屋さんに行きました。



オペラですよ。これが又美味しいheart04
美味しいケーキ屋さんに行きました。



食べることが大好きな知人から教えて貰ったケーキ屋さんに行きました。

神戸出身でフランスにも勉強に行かれた女性のパティシエでした。



何処にお店が有るのかしら?何処から入ったら良いのかしら?

とちょっと不安になるようなお店でしたが、ケーキのお味は天下一品。


どれもこれも美味しいんです!!!



朝5時から作り始めてお店を開けるのが12時


その日に作ったものしかお店に出さない。売り切れたらそれで終わり。


ジャムも手作りされるとの事。

紅茶も本格的でした。

4人で行ったのですが、



苺のショートケーキ

オペラ

フランスで学んだというアーモンドや木の実の入ったパイ

苺タルト

クリームブリュレ

ババロア

木の実のキャラメルパイ

又これが美味しいのなんのって・・・bearing

紅茶も、

ウバ紅茶(三大紅茶の一つです)・ネパールの紅茶・キャラメルティー・アールグレイ

と四人だからと4種類用意してくださいました。



タルトもショートケーキも、デコレーションするものは、

注文してから、最後の仕上げをするものですから時間は少しかかります。


その上、待っている間に、お客さんが次から次にケーキを買いに来られるものですから・・・。



けれど、時間などには負けない美味しさが心も満足させてくれました。


先生のお誕生日のケーキをここに頼もうと先生に内緒で三人で相談したところです。


地元の月刊誌セーノhttp://www.oita-press.co.jp/seeno/

教えたくなるケーキ屋さん】の一番に紹介されていたケーキ屋さんでした。

(待っている間に、おいてあった雑誌を読んで初めて知った事でしたけれど。)



パティシエのスマコさんはケーキ作りが大好きsign03

と仰る、ほんわかした笑顔のステキな女性でした。

パティシエール スマコ 097-545-5595

本当にお薦めできるケーキ屋さんです。

人生を表わす様な立派なお葬式でした。


お葬式に参列して来ました。


潮谷寺であったのですが、
境内に大型テントを張りイスが1000脚位用意されていました。
暑くもなく、寒くもないお天気で何よりでした。

お供えのお花も、100基は優に超えていたようです。
境内の中は塀に沿って並べてあり、二列に並べている所もありました。
それでも、並びきれずに、道路まで・・・。
佐伯中の花屋さんのお花がなくなってしまったのではないかしらと思えるほどの数。
(多くて途中で数えるのを止めました。despair

数社経営されていたとはいえ、衆議院副議長から、元市長、元議長に県会議員、年配の男性に女性。若い人。

本当に多くの方が、お別れに来ているのを見て、
この方の人生が、本当に豊かだったのだと思いました。

二度と、お姿を見る事も出来ず、お声も聞く事が出来ないという事は、本当に寂しいです。

生あるものは、必ず滅す

のは、当たり前の事です。


当たり前でありながら、自分自身や自分の大切な人に関しては、考えたくないことですし、

無意識に考えないようにしているのが現実ではないでしょうか。


生れ落ちたその時から、死に向かって生きている。


誰もそれから逃れる事は出来ないし、一日一日が良き方向に進んでいる一日なのか、

悪き方向に進んでいる一日なのか考えて、良き方向に進む一日を生きて行かなくては・・・。

と言う事を再認識した一日でした。

ご冥福をお祈りいたします。

恩のある方がお亡くなりになりました。


とてもお世話になった方がお亡くなりになりました。

入退をされていると聞き及び、お見舞いに伺いたいとご家族の方に申し上げても、

「元来、カッコカマンなので、入院している姿を人に見せたくないんです。

ですから、どなたのお見舞いもお断りしているんです。ごめんなさい。」

と言われ、お見舞いにも伺えずにいました。

バレンタインデーの時も、

「丁度、風邪を引いたので、家にいるよりも病院の方が安心だからと入院したのだ。」と、

ご本人からmobilephoneで聞き、バレンタインデーのpresentも、

ご自宅に伺い、奥様にお渡ししたような事でした。

今年の、お中元は、cherry を差し上げようと、

山形の佐藤錦を予約しています。
お中元のcherry が届いたら、それを、病室に届けようsign01
cherry なら、口に気軽に運べるだろうし、

その時には、絶対お顔を拝見するのsign01

と、私の家族に言っていました。

まさか。そこまで悪くなっていただなんて・・・。
ご存命の時に、改めてお礼を申し述べたかったのに・・・。

悔やまれてなりません。

誰あろうこの方こそが

「市議になったら・・。」

と私に勧め、

逡巡している私の背中を押してくださった方だったのです。

遺体を荼毘にふす為に、自宅から出発し、その方の経営される会社の前を通り、

経営する曳船が着岸している港を通って行かれました。



船の汽笛が、とても悲しく寂しく響き渡りました。

その音を聞くと、自然に涙がこみ上げてきました。

明日は、お葬式に参列させていただき、最後のお別れをしてまいります。

キトラ古墳四神一般公開に行く事になりました。

今、奈良でキトラ古墳の一般公開が6月13日までの予定で開催されています。

前々から考えていたのですが、色々予定が詰まっているので決めかねていました。

でも、今回のチャンスを外したら、四神を一堂に見れるのは何時になるか分からないので、やはり、行く事に決めました。

6月11日~13日まで2泊3日の予定で飛行機もホテルも手配しました。

平城京遷都1300年、キトラ古墳の一般公開が6月13日までと言う事もあり、奈良ホテルは満室でとれなかったので、奈良ロイヤルホテルに宿泊する事にしました。

奈良ホテルの茶粥がとても美味しかった事を思い出します。

キトラ古墳壁画四神の展示会に行きませんか?
http://kitora.nabunken.go.jp/


被害者が被害の立証をしないといけないなんて・・・。

4月12日に、オフィスの駐車場入り口の柱にがぶつかってから1ヶ月を過ぎた昨日、保険会社の担当者が代理店の方と、被害を調査する専門の方と三人で来社されました。

トラックがバックする時に歩道の段差を超える為にアクセルを踏んだ為に大きな衝撃を受けたのです。入り口の柱のタイルは当然の事ながら、思わぬところに異常が見られるようになりました。

ホ・ン・ト まるで、人間が事故をした場合に後遺症が出るみたいに、思わぬところに???という変化が出てきました。

けれども、保険会社の方が言われるには、

「それが、事故で生じた物かどうかは、被害者が証明しなくてはなりません。なにしろ、事故が原因かどうかは私達は、その前の状況を見てはいませんから。」 ・・・と。

「どういう力が、どういうベクトルで働いたかをどうして素人の私が分かるでしょうか?
結果を見て判断しているだけであって、原状回復して頂ければ良いだけです。」

と言っても、「その柱の修理だけです。法律で決まっています。」といわれます。


しかしながら、同じタイルは既になく、違う色で(勿論、出来るだけ近い色を探すでしょうが)修理するしかなく、入り口全体に統一したタイルを一部分だけ色の違うタイルで我慢しなくてはならないのでしょうか?

被害者が、被害を証明しなくてはならないなんて、理不尽な気がしてなりません。

癌を治した体験者だから地元ではチョット有名かも・・・ね。

「地元では、チョット有名人なのかしら?」

とメールを頂きました。

小さな町ですから、少しは、名前や顔が知られているのは当然といえば当然かも・・・。 一応市会議員の経験者ですから・・・。

政治に特別深い関心を持っていたわけではなった私が、市議会議員になったのは、
余命三ヶ月と医師より宣告された癌を手術もせず、薬も飲まずに6年かかって完治させた事が、 市議会選挙に出馬したキッカケでした。   もう、20年も前の事です。

「人のお役に立ちたいと思うのなら、環境問題にしても、農業問題にしても同じ活動をするのなら、 より、影響力がある市会議員に出てみたら?」

という知人の何気ない一言で、それまで考えた事も無かった市会議員選挙に出る事にしたのです。

「盲人蛇におじず」という言葉どおり、選挙の大変さなど知らなかったから出来たのかも知れません。

恥ずかしい事ですが、当時の私は、選挙に立候補するにはどうしたら良いのかも、選挙違反はどんな事なのかも、 選挙管理委員会が何処にあるのかさえ知らなかったのです。

選挙は、地盤・看板・かばん を必要としますが、選挙に必要な地盤・看板・かばんの何一つ私にはありませんでした。あるのは、死を宣告された癌を完治させた生かされて生きている自分自身だけでした。

勿論、私が出馬すると知って心配した大学の大先輩から、

「〇〇党から出たら?選挙は、お金もかかるし組織もいるから・・・。」

と電話がかかるだけでなく、当時の現職の国会議員の方からも直接お電話を頂きました。

大先輩や、国会議員の方に感謝で一杯でしたが、丁重にお断り致しました。

といいますのも、〇〇党ではなく、市民党の議員として党利党略の一翼を担うのではなく、 市民の為に是々非々を問う活動をしたかったからなのです。

地盤・看板・かばんを何一つ持ち合わせていなかった私が当選し、当選証書を頂いた時は、その責任の重さに膝がガクガクしたのを昨日の様に覚えています。そして、「私を支持してくださった方が、私を応援してやって良かった。一票を投じて良かったと言われる議員になる。」と心に誓った事もまるで昨日の事のようです。


議員になって初めての一般質問の冒頭で、「余命三ヶ月の癌を六年かかりましたが、奇跡的に癌を完治する事が出来ました。生かされているこの身を佐伯市の発展と佐伯市民の為にお役に立たせて頂きたいと思っております。」と言った所、

時の市長は、「体に留意され、佐伯市の発展と佐伯市民の為に活躍して頂きたい・・・云々」
と私の質問の答弁の冒頭で、健康を気遣う言葉をくださいました。

ところで、私が、余命三ヶ月の癌を六年かかりましたが、奇跡的に癌を完治する事が出来た事は、結構知られているのですが、
信じている人はいたって少ないようです。

なにしろ、癌だったとは信じられないほど、逞しい体つきなものですから

まず、言われる事は、「誤診に違いない。」ということです。

事実を言っているだけなのに、「誤診に違いない。」とかといわれる事は、 まるで私が嘘を言っているといわれているようでとても辛いものでした。 ですから、「信じる信じないはその人の勝手」と思える様になるまでには、随分長い年月を必要としました。

今では、巷には、例えば癌が治るという方法手段というものは沢山ありますが、 私の様に手術もせずに、薬も飲まずに、勿論サプリメントも食べずに治った人は少ないのではないでしょうか。

癌は、本当に辛いものです。 出来る事なら癌にはならない方が良いのは勿論ですが、万が一、癌になった場合は、 どの方法をとるかで、結果は変わってきます。

自分は大丈夫と思っている人が大半でしょうが、 癌になるかも知れないと考えてならない努力をする事が大切だと実感している今日この頃です。


市会議員のOB会


OB会
佐伯市の市議会にはOB会があります。
大先輩の元議員さんから勇退されたばかりの議員さんまでいらっしゃいますが、私は出席者の中で紅一点でした。

総会の後、市長から市政についての説明があり、質疑応答を副市長、議長、副議長同席のもと執り行いました。

身近な市政に関心を持ち、正しい情報を入れる事が大切と、いつも再確認させられます。