「地元では、チョット有名人なのかしら?」
とメールを頂きました。
小さな町ですから、少しは、名前や顔が知られているのは当然といえば当然かも・・・。 一応市会議員の経験者ですから・・・。
政治に特別深い関心を持っていたわけではなった私が、市議会議員になったのは、
余命三ヶ月と医師より宣告された癌を手術もせず、薬も飲まずに6年かかって完治させた事が、
市議会選挙に出馬したキッカケでした。 もう、20年も前の事です。
「人のお役に立ちたいと思うのなら、環境問題にしても、農業問題にしても同じ活動をするのなら、 より、影響力がある市会議員に出てみたら?」
という知人の何気ない一言で、それまで考えた事も無かった市会議員選挙に出る事にしたのです。
「盲人蛇におじず」という言葉どおり、選挙の大変さなど知らなかったから出来たのかも知れません。
恥ずかしい事ですが、当時の私は、選挙に立候補するにはどうしたら良いのかも、選挙違反はどんな事なのかも、 選挙管理委員会が何処にあるのかさえ知らなかったのです。
選挙は、地盤・看板・かばん を必要としますが、選挙に必要な地盤・看板・かばんの何一つ私にはありませんでした。あるのは、死を宣告された癌を完治させた生かされて生きている自分自身だけでした。
勿論、私が出馬すると知って心配した大学の大先輩から、
「〇〇党から出たら?選挙は、お金もかかるし組織もいるから・・・。」
と電話がかかるだけでなく、当時の現職の国会議員の方からも直接お電話を頂きました。
大先輩や、国会議員の方に感謝で一杯でしたが、丁重にお断り致しました。
といいますのも、〇〇党ではなく、市民党の議員として党利党略の一翼を担うのではなく、 市民の為に是々非々を問う活動をしたかったからなのです。
地盤・看板・かばんを何一つ持ち合わせていなかった私が当選し、当選証書を頂いた時は、その責任の重さに膝がガクガクしたのを昨日の様に覚えています。そして、「私を支持してくださった方が、私を応援してやって良かった。一票を投じて良かったと言われる議員になる。」と心に誓った事もまるで昨日の事のようです。
議員になって初めての一般質問の冒頭で、「余命三ヶ月の癌を六年かかりましたが、奇跡的に癌を完治する事が出来ました。生かされているこの身を佐伯市の発展と佐伯市民の為にお役に立たせて頂きたいと思っております。」と言った所、
時の市長は、「体に留意され、佐伯市の発展と佐伯市民の為に活躍して頂きたい・・・云々」
と私の質問の答弁の冒頭で、健康を気遣う言葉をくださいました。
ところで、私が、余命三ヶ月の癌を六年かかりましたが、奇跡的に癌を完治する事が出来た事は、結構知られているのですが、
信じている人はいたって少ないようです。
なにしろ、癌だったとは信じられないほど、逞しい体つきなものですから
まず、言われる事は、「誤診に違いない。」ということです。
事実を言っているだけなのに、「誤診に違いない。」とかといわれる事は、 まるで私が嘘を言っているといわれているようでとても辛いものでした。 ですから、「信じる信じないはその人の勝手」と思える様になるまでには、随分長い年月を必要としました。
今では、巷には、例えば癌が治るという方法手段というものは沢山ありますが、 私の様に手術もせずに、薬も飲まずに、勿論サプリメントも食べずに治った人は少ないのではないでしょうか。
癌は、本当に辛いものです。 出来る事なら癌にはならない方が良いのは勿論ですが、万が一、癌になった場合は、 どの方法をとるかで、結果は変わってきます。
自分は大丈夫と思っている人が大半でしょうが、 癌になるかも知れないと考えてならない努力をする事が大切だと実感している今日この頃です。
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