福原流横笛と琵琶の演奏会

11月3日文化の日
sun秋晴れの爽やかな一日。横笛と琵琶の演奏を楽しみました。notenote

長唄囃子方の福原家宗家に生まれ、64年に六代目福原百之助を襲名。
92年、歌舞伎囃子方の名跡を継ぎ 四世寶 山左衛門になられた
人間国宝4世宗家 寶山左衛門http://matome.naver.jp/odai/2128132063663015401

の直弟子の先生が大分にいらっしゃいます。
福原百桂(ふくはらひゃっけい)先生と仰るのですが、
私の義姉が福原百桂先生に篠笛をならっているのです。



今回は、今年の8月7日に逝去された
人間国宝4世宗家 寶山左衛門こと六代目福原百之助 
追悼の横笛演奏会が開催されました。


いつも親しくしている、ひょうたん水http://hyoutansui.jp/index.php?%E3%81%B2%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%9F%E3%82%93%E6%B0%B4 の愛用者の母子と一緒に聴きに行ってきました。cardash

大分市の能楽堂です。7月の都山流尺八の演奏会もここでした。

演奏会終了後、快く撮影させて頂きました。

向かって左の男性が薩摩琵琶の演奏者 塩高和之氏

http://home.att.ne.jp/kiwi/Eclipse/fplayer.html

向かって右側の女性が横笛演奏家 福原道子氏です。

福原道子先生は、六代目福原百之助氏のお嬢様です。

七代目福原百之助氏の母でもあります。


福原道子先生のブレスをしているのを気付かせない演奏や、能管の透き通った音色は、素人に思わず「ほぉーっ(*^.^*)sign01」っと言わせるものでした。

塩高和之氏の琵琶の演奏は、いままで、

琵琶といえば・・・「耳なし芳一

のイメージが強く、どこかおどろおどろしい印象を持っていたので、琵琶に興味のある人には申し訳ないのですが、実の所、これまで聴いてみたい等と思った事は有りませんでした。coldsweats01

琵琶の演奏を生で聴いたのは、私だけでなく、一緒に行った人達も初めてでした。

一緒に行った、小3・4・6年の子供達が、身を乗り出して琵琶の演奏を聴いていたのが印象的でした。happy01

  ・・・

そうなんです。

おどろおどろしい感じは全くありませんでした。

おどろおどろしい感じは全く無いだけでなく、

琵琶の音色は、ギターを思わせるような音のような感じがした所もありました。

撥のさばきで音に様々な表情が出てくるのは、

ear聞いていて eye 見ていて とても興味深かったです。

 

子供達が身を乗り出して聞かせる程の演奏だったのですね。。。

食わず嫌いや、先入観を持つことは何事に於いても、

良くない事だと今回の琵琶の演奏を聴いて思いました。(反省)

ネットショップの仲間が私のHPを紹介して下さいました!

ネットショップの仲間の一人が私のHP

http://terumi.hyoutansui.net/index.php?FrontPage

を見て感動しすごく刺激を受けましたとご自分のブログ

ゆかいの「ありがとう日記」

http://plaza.rakuten.co.jp/yukai810/diary/201010230000/

で私の事を紹介して下さいました。

ネットショップの方が紹介して下さるのは初めての事なので、本当に嬉しかったです。happy01

ゆかいの「ありがとう日記」 

は、認知症のお母様を中心に家族の日常を綴っていらっしゃいます。

 

ご自分も認知症のお母様を抱えていらっしゃるので大変な筈ですが、

ブログからは、陰鬱な感じは伝わってきません。

それどころか、認知症のお母様を支えるお嫁さんの優しさ、

ゆかいさんのお母様に対する想いが伝わってきます。

 

認知症の介護は本当に大変です。

 

実は、私の母は、

認知症(当時は老人ボケと言っていましたが)で寝たきりになった姑を

幼い私達三人の子育てをし、お商売をしながら、7年間一人で看病してきました。

いわゆる認知症でも、半身不随で動けなかった事が

かえって一人で看病する母にとっては良かったのかも知れません。

最後まで舅姑を看取って数十年後、

その母が癌で、最後の一ヶ月間を入院したのは12月の事でした。

AM 6:00 病院から帰宅

       掃除・洗濯・仕事の段取り

AM 7:30 朝食の介助の為に病院へ

AM 8:30 市役所

       議会

PM 0:15 昼食の介助の為に病院へ

PM 0:50 市役所

PM 5:00 帰宅

PM 5:30 夕食の介助の為に病院へ

PM 6:30 帰宅

       仕事の整理や入浴、漢方のペースト作り

PM 9:00 付き添いの為に病院へ

        ソファーで仮眠を取りながら母の付き添いをしていました。

 

完全看護の病院ではありましたが、

母は辛抱強い人でしたので、どうしても・・・という状態になるまで我慢するのです。

ですから、せめて、死を間近にした母に少しでも無理をさせない為に付き添いを認めて頂いたのです。

約一ヶ月の間この様な毎日でしたので、その間の睡眠時間は実質3時間あったでしょうか。

 

当時、市議会議員をしていましたので、

定例議会もあり、自分の仕事もありという状況ありながら、

必死に看病できたのも、そんな母の姿を幼い私の心に残っていたのかも知れません。

 

母が癌と知ってからは、癌に効くと聞けば漢方薬を。

癌に効果があるという健康飲料などもどれ程飲ませたか分かりません。

最終的には病院のお世話になったのですが、

入院した時には既に母の腹水は溜まり、お腹がパンパンになっていました。

 

医学的な処置をして頂いても、

民間療法で、腹水を出す効果があると教えて頂いた時には迷わず、その方法をしました。

それは、ヒマや彼岸花の球根をジャガイモと一緒にすり潰してペースト状にしたものを湿布するというものです。(勿論、自分で作るのです。)

 

人からどの様に思われるかよりも母を少しでも楽にさせてあげたいの一心からした事でした。

 

出来る限りの事はしましたが、それでも、悔いが残ります。

そして、この体験がひょうたん水を作るキッカケになったのです。http://hyoutansui.jp/

 

ゆかいさんは、ネットショップを運営されているだけでなく、ご自分もガラス彫刻工芸作家
として活躍されているので、お母様の事とお仕事の両立は本当に大変な事と思います。

 

それなのに、明るく毎日を過ごせているのは、

感謝の気持ちを持っていらっしゃるからだと思いました。

そんな方が作られる作品は、

さぞかしプレゼントした相手の方に喜ばれるに違いないと思います。

http://www.atelier-pigeon.com/kogei/11prof.htm

 

また、そんなゆかいさんに出会えたトンゼミhttp://www.tonsemi.com/ にも感謝しています。

 

ゆかいさんが、お母様に対して、少しでも悔いの残らない様にお世話出来ることを祈っています。