今日は、 広島平和記念日,広島原爆忌です。
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、
米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、広島市上空で世界初の原子爆弾「リトルボーイ」を投下しました。
熱線と衝撃波によって市街は壊滅し、約14万人の死者を出し、
その後、原爆症等で亡くなった人を含めると、犠牲者は25万人以上にのぼると言われています。
元、佐伯市長の佐々木博生先生は、広島の大学に行かれたので、
友人知人に原爆の犠牲になられた方も多く、
毎年暑中見舞いには、原爆忌と平和についての漢詩を綴ってお送り下さいます。
その漢詩を拝読する度に、
戦争の悲惨さを再認識すると共に、平和ボケしている日本人の甘さをお詫びし、
改めて日本が平和である事を感謝し、
原爆の被害で苦しんでいる方々へ救済の手が厚くなる様に願っておりました。
戦後65年経った今年は、「もう・・・。」と仰って、原爆忌に関する漢詩はお作りになりませんでした。
ところで、
戦時国際法
には、
交戦法規
というのがあり、その中には
陸戦法規 海戦法規 空戦法規 の3つがあります。
そしてまた、攻撃実行においても主に3つの規則が存在するのを知っていますか?
その中には、
第1に 軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃の禁止を定めている。
第2に 文民と民用物への被害を最小化することである。
軍事作戦においては文民や民用物が巻き添えになることは不可避であるが、
攻撃実行にあたっては、その巻き添えが最小限になるように努力し、
攻撃によって得られる軍事的利益と巻き添えとなる被害の比例性原則に基づいて行われなければならない。
第3に 同一の軍事的利益が得られる2つの攻撃目標がある場合、
文民と民用物の被害が少ないと考えられるものを選択しなければならない。
とあります。
この国際法から判断しても、
東京大空襲をはじめ日本全国の主要都市に対する壊滅的な爆撃は、容認してはならないと考えます。
ましてや、広島・長崎に投下された原子爆弾は、人類史上の汚点である事は間違いない事でしょう。
例え、戦勝国が、
戦争を早く終結させる為には必要だったとか、
自国の兵士を守る為に必要だったと言っても、誰もが納得できる話では有りません。
戦勝国の論理だけで善悪を論じてはならないと思います。
そう言う話を聞けば聴くほど、
イエロージャップと黄色人種の日本人を侮蔑していた外国人は、
日本人を人間とは考えていないのではないかと考えてしまいます。
イエロージャップの有色人種である日本人を人間とは考えていないからこそ、
原爆やら、東京大空襲など、国際法から判断しても違法である攻撃が出来たのではないかしら?
もしも、そうでなかったら、
国際法に違反している原爆投下やら(それも二度ですよ)東京大空襲などの攻撃をしたかしら?
子々孫々に影響のある非人道的な原子爆弾をはじめ、人の命を取る武器が無くならない限り、
また、力や武器で、得を得ようとする人がいなくならない限り
一般の大多数の人が求める 皆が望んでやまないものである平和を、
いくら、「平和平和」と求めても平和を人類が手にする事は出来ない事だけは間違いない事です。