実は最も戦争を避けたいと考えているのではないかと思います。
けれども、一部の心ない人々は、彼らを好戦的であると言い、
その存在すら否定しようとしています。
特に社会党や共産党の人は、自衛隊を否定的に言ってきました。
現政権与党の仙谷氏が「自衛隊は暴力装置」と発言した事も記憶に新しいですね。
「自衛隊はいらない」とかっていた政治家達は
自衛隊のこの様な活躍をどう考えるのでしょうか?
今回の震災での自衛隊の救助人数は、
16日までに19400人ということです。
収容した遺体の数は27日までに4150体です。
遺体を収容するのに担架が足りない。
場合によっては背中に担いで遺体安置所まで運んでいます。
一日24時間の内わずか3時間ほどの休憩。
被災地で炊き出しをした際、
暖かいご飯を自衛隊員は絶対食べないそうです。
暖かい食事は被災者の方にと
缶詰の冷たいご飯を食べているのだそうです。
被災地の人用にお風呂を用意しても
自衛隊員は入りません。
暖房用の灯油も被災者の方に回して
自衛隊の方は体を寄せ合って
夜の寒さを凌いでいるのだそうです。
そして出来るすべての事をやったら
ひっそりと帰るのだそうです。
これが、日本の自衛隊です。
「救った人の数が世界で一番多い」
のが自衛隊だと言う事をご存知でしょうか?
自衛隊は外国の軍隊と違い
「人を殺す為の組織ではない」
事がこの事でも証明されているのです。
けれども、自衛隊が前述の様に否定的に扱われるであろう事は
吉田茂首相はお分かりだったのです。
そこで、
昭和32年2月、防衛大学校の第一回卒業式で
吉田茂首相が卒業生に話された事を紹介します。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、
君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい」
まさにその言葉通りではないでしょうか。
自衛隊に反対しているからと言って災害の時に
自衛隊の救いの手を跳ね除けるでしょうか?
たとえ、自衛隊に反対している人でも
自衛隊の方の差し出された救いの手を握ると思います。
もしかすると、「咽もと過ぎれば熱さ忘れる」の諺どおり
恩を仇で返す人もいるのかもしれません。
それでも、自衛隊の方は、救助の際に
「社会党支持ですか?」
「共産党支持ですか?」
「自衛隊を支持しますか?」
等と聞いたりはしません。
様々な主義主張を持ち、それがたとえ自衛隊に否定的であっても
分け隔てなく救いの手を伸べてくれるのです。
昭和57年の長崎の大水害の時、年配の方が
「日頃は、自衛隊反対と言っているくせに
困った時だけ自衛隊自衛隊と言って自衛隊をこき使い、
そのくせ自衛隊の支援の仕方がああじゃこうじゃと文句を言う。
助ける時に自衛隊支持かどうか聞いて
それから助けるかどうか決めればいいんじゃ\(*`∧´)/」
と言っていたのを思い出しました。
勿論、自衛隊は大きな組織ですから、色々な人が勤務しており、
その点は一般の会社とその点では何ら変わりません。
優れた人材もそうでない人もあり、時には間違いを犯す人もいます。
そのような悪い点だけをことさら取り上げて、
自衛隊の存在そのものを否定する短絡的な思考には、
陥りたくないものだと思います。
常識でものを考え、基本的な知識さえあれば、
私たちのために日々黙々と訓練している自衛官の皆さんを、
自然に尊敬出来ると思います。
自衛隊の方々の活動の様子を伝えた記事がありましたので紹介します。
何と頼もしく男らしい。
日本男児は絶滅してはいなかった事に感激しています。
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東日本大震災での自衛隊による被災者支援活動は
「最後の砦(とりで)」である。
隊員はその重みを感じながら黙々と働くが、
肉体的、精神的疲労は日ごとに増す。
身内に犠牲が出てもわが身を顧みず、
被災地にとどまる隊員も多い。
実績を声高に誇ることもなく、
黙して語らぬ隊員の思いと労苦を
隊員同士のメールや写真から検証した。
(半沢尚久、《》はメールの文面、写真は陸上自衛隊提供)
■車座で痛みを共有
《海には数メートルおきにご遺体が浮いている》
《幼い亡骸(なきがら)を目にすると、わが子とダブってたまらない》
地震に津波の被害が重なった大震災。
遺体収容も自衛隊の重要な任務のひとつで
27日までに4150体を収容した。
写真は宮城県山元町で冷たい水に膝までつかりながら
遺体を囲み手を合わせる隊員を写し出す。
日常的に遺体を扱う警察官と違い、慣れているわけではない。
とりわけ、海に流された遺体と対面するのはつらい作業だという。
《流木にはさまれ、両手をあげていた。最後まで救助を信じていたように...》
凄惨(せいさん)な現場は、隊員の心を消耗させ、
無力感さえ抱かせかねない。
そのために陸上自衛隊はメンタルヘルスを重視し、
夜ごと隊員を10人ほどの班に分け、
車座になって一日を振り返る時間をつくった。
陸自隊員は
「仲間と苦しみ、痛みを共有できれば気力がわいてくる」と打ち明ける。
続きは
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110327/plc11032720480012-n1.htm