長崎原爆投下の日

今日は長崎原爆投下の日です。
黙祷を捧げた事と思います。

さて、先日のブログで

原爆が広島と長崎に投下される前に既に日本は、物資も無く
抵抗できる状態ではなかったと書きましたが、

最近じゅうたん爆撃(Carpet bombing)に従軍した
アメリカ兵のインタビューが放映されたのをご存じでしょうか?

最近は情報公開によって
今まで世間に知らされることのなかった情報が出てきています。
この元アメリカ兵のインタビューもその一つだと思います。

元アメリカ兵曰く
「機銃掃射しても、応戦することはほとんど無かった。
じゅうたん爆撃(Carpet bombing)は非常に効果的で成果の上がるものだった。etc」

私の住む佐伯市もじゅうたん爆撃(Carpet bombing)を受けました。

記録によると
1945年(昭和20年)3.18 旧弥生町床木・・・民家に爆弾投下 死者2名 負傷者 不明

1945年(昭和20年)3.19 旧米水津村・・・・・人家に機銃掃射

1945年(昭和20年)4.26 旧佐伯市・・・・・・・死者46名 負傷者 不明
1945年(昭和20年)4.26 旧上浦町浪太・・・死者3名  負傷者 1名
1945年(昭和20年)4.26 旧鶴見町・・・・・・・民家に爆丸直撃
1945年(昭和20年)4.26 旧米水津村・・・・・死者1名

1945年(昭和20年)5.13 佐伯航空隊が目標とみられる。グラマン延140機
1945年(昭和20年)5.13 米水津村・・・・・機銃発射により山火事

1945年(昭和20年)5.14 佐伯航空隊が目標とみられる。グラマン機数不明
1945年(昭和20年)6.23 旧弥生町床木・・・爆弾投下

1945年(昭和20年)7.24 佐伯航空隊が目標とみられる。B29機数不明
1945年(昭和20年)7.25 佐伯航空隊が目標とみられる。B29機数不明

B29で機銃掃射する時は低空飛行をしたそうです。
下からアメリカ人の顔が見えたと伝え聞いています。coldsweats02

母だけでなく、佐伯のお年寄りも、また他の町の
じゅうたん爆撃(Carpet bombing)を受けた人の証言もあります。eyeear


航空隊があるとはいえ小さな町の佐伯周辺だけで12回の爆撃。
それに対抗する事も出来なかった日本。


日本中が同じ状況であったのです。
その状況で、果たして
アメリカ兵が100万人も日本本土に上陸する必要があったと思いますか?

原子爆弾の必要性を説いた論文は果たして正しかったのでしょうか?


国際法では、戦争は国対国の戦いである。
よって軍人同士が戦うのであり、一般市民を標的にしてはならない。

にも拘らず、抵抗できず、兵隊もほとんどおらず、兵器もない
婦女子と老人が多く残されていた敗戦まじかの日本に対し

日本の国土の大半をじゅうたん爆撃(Carpet bombing)した上に
広島と長崎に原子爆弾の投下それも、何故2種類の原爆を投下したのsign02

広島型はウラン325 死者14万人 長崎型はプルトニウム 死者7.4万人

しかも、被爆者を治療することはせず、又日本の医者の治療をさせず
唯々、被爆者のデーター収集のみに奔走したアメリカは
まさに、ホロコーストの主犯ではないかと考えます。

新しい情報が出る事によって、
それまでの常識が覆されることも多いと自覚した次第です。

ご冥福をお祈りいたします。

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