先日、私が、送った冊子を読んで、その内容に驚いて来てくれたのです。
( 私が、開発した物があるのですが、開発に至るまでの事をまとめたものです。)
二人の会話を少し紹介します。
「元気な姿しか見ていなかったから、癌でそんなに苦しんで来たとは知らなかった。
だから、強くなったんだね。死の淵を見た人は強くなると言うし・・・。」
「そうね、最初の診断では、年が越せないと言われていたから、
休む前に、今日一日生きられた。後、何日生きられるのかしらと
カレンダーに毎日、X印をつけながら生きてきたのよ。
泣くのも泣いたわねぇ。 」
「実は娘が17歳の時に膠原病になって20歳までは・・・。」と
娘を前にして医師に宣告された事がある。
その我が子が二十歳になった時
「お父さん。二十歳になったね。」
と言ったんだよ。
その子は、24歳の今では一日フルに仕事が出来るようになったんだ
17歳の子供に面と向かって過酷な事を言った医師に対して
ぶんなぐってやろうと思うくらい憤ったけれど・・・、強い子だったんだと思う。
確かに過酷なまた、残酷な宣告だけど、
貴方の娘さんにとってはかえって良かったのかも知れないわね。
私の時もそうだったけれど、
却って、腹が据わることもあるし・・・。
生きてるんじゃない 生かされて生きている
と言う事も理屈ではなくわかるし、人生も一日も大切にするようになるし・・・。
それにしても、
本当に良かったね。これからも健康でいたいね。とお互いに励ましあった一日でした。
病気は、本人が苦しいのは当たり前です。
しかしながら、
親や家族、親しい友人も苦しめてしまいます。
今日来た友達は、
『代われるものなら娘と代わってやりたい!』
と心底思ったそうです。
癌で余命三ヶ月と、婚約した娘の診断を医師から伝えられた時、
私の母は一体どんな思いをしたのかしら・・・。
と
母を偲ぶ私でした。