思いやり予算

思いやり予算とは、ご存知の通り、在日米軍駐留経費を日本側が負担しているものです。
大分出身の元社会党党首村山富市氏が総理大臣の時に実施されました。

本来は、日米安保条約に基づく日米地位協定では経費は

基地地主の地代などを除いて、一切米国が負担することになっています。

けれども、ベトナム戦争後、財政危機とドルの価値の急落に苦しんだ米国は
日本に駐留経費分担を求め、日本政府は1978年に62億円を 支出したが、
それ以後、急増し、

基地従業員の人件費、光熱水料、基地内の建設費のほとんど全額などを、

2007年度で2173億円を「思いやり」で支出するほか、
地代や周辺の防音工事、自治体への補助金、

無償提供中の国有地の推定地代を含めると日本の負担は年間6092億円

米兵1人当たり約1800万円に達するのです。


日本の財政危機は危機的状況です。世界では第2位の借金大国です。
日本の借金カウンターをみると1111兆円を超えています。
 http://club.pep.ne.jp/~nonoyama/ShakinCounter/ShakinCounter.htm 

米国は財政が日本より余裕があるのに、

なお「思いやり」を続けるのは道理に合わない、

との声は与野党双方だけでなく、

それが防衛省予算から出るため、防衛官僚の間にも強いのは当然の事でしょう。

日本側の負担は期限5年の特別協定で定められてきましたが、
06年4月以降については日本側が負担の減少を求めたのに対し、

米側は増額を要求して折り合いがつかず、暫定的に内容を変えず2年延長したのでした。


08年度以降については、

07年12月両国は次の3年間で光熱水費8億円を削減するだけ

で協定を更新することで合意したとなっています。

今回、民主党政府が、米国に思いやり予算の軽減を伝えたのは、

国民としては大いに歓迎する事ではないかと思います。

 


地代や周辺の防音工事、自治体への補助金、

無償提供中の国有地の推定地代を含めると日本の負担は年間6092億円

米兵1人当たり約1800万円に達すると言う事実を

国民の前に明らかにする事は大切な事ではないでしょうか?

何しろ、そのお金は国民の税金で賄っているのですから。

確かに、尖閣諸島の問題を考えると、

国際法を無視する中国等に対する国防を考えると

安部元総理のお考えも分からないわけではありません。


しかしながら、

今回は、基地で働く日本人の内、バーなどで働く人々等の

お給料などの負担分を減らしたいと言う事が、国防にそれほど影響するものなのでしょうか?

自民党の政治に代わって、期待していた民主党の政治に少なからず落胆していた人にも、

この政府の対応は歓迎されるのではないかと思いますが如何なものでしょうか?

中国を嫌いになってしまいそうです。

日本の国境は明治政府の時に決められ世界でも認められています。

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 政府は1895年、入念な現地調査を重ねて中国(当時は清国)
 の支配が及んでいないことを確認した上で、沖縄県に編入した。
 この時、清国からの異議はなかった。
 1951年調印のサンフランシスコ講和条約でも、
 日本が放棄した領土に含まれなかった。

 

 尖閣諸島は72年の沖縄返還まで米国の施政下に置かれたが、
 中国や台湾はこの時も異議を唱えなかった。
 実際、60年代に中国や台湾で発行された地図にも
 日本の領土として記載されている、と多くの研究者らが指摘している。

 

 ところが、中国や台湾は70年代以降、尖閣諸島の領有権を主張し始めた。
 その頃から、周辺に石油などの海底資源が眠っている可能性が
 取りざたされ始めたためとみられる。
 中国は92年に制定した自国の領海法で中国の領土と明記し、
 台湾は99年に領土として領海の基準線を定めた。

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 国際法上認められている国境を

 なぁーんも悪くない日本を、

 資源力、軍事力、経済力で、

 虐め抜こうとする中国。





 尖閣諸島付近に、

 大量の石油が眠ってるって、

 わかった途端に、

 中国、台湾が無理矢理、

 領有権を主張。


 今回の「中国漁船衝突事件」に
  中国が日本への「レアアース」の「輸出禁止」の措置
 反日デモ・・・

 私が市議会議員をしていた時に
 邯鄲市と友好都市提携をする為の議員団の一人として
 中国に行きました。
 当時、人口5万人程度の佐伯市と、人口800万の邯鄲市が
 友好都市提携を結ぶのは、実際の所、格違いです。

 

 それなのに何故、友好都市の提携を結ぶようになったのか。

 

 それは、かつて揚子江の大水害があった時に
 (今年は1998年の時よりも被害が大きいようですが)

 

 佐伯市の、日中友好協会は、いち早く募金活動を始めた事がありました。
 その時の功績により、中国の領事館を通して
 邯鄲市との友好都市の提携と言うことになったのです。

 

 私が会派を組んでいた方が、日中友好協会の会長をされていました。
 その方は、お若い時に中国で生活していたそうです。、
 その時に、中国の方にとても良くして頂いたと口癖の様に仰っていました。
 中国に対する感謝の念を忘れる事がなく、中国大好きという方でした。

 

 ですから、中国の人々が水害で苦しんでいると聞いて、
 すぐに募金活動を始めたのでした。
 その時、同じ会派でしたので、私も募金活動に参加しました。

 

 真夏の事で、年配の方は体調を崩す方も出る位の暑い中、
 街頭に立って、募金を呼びかけたのでした。

 

 

 ところで、
 友好都市の締結の為に邯鄲市に行った時の思い出は
 本当に良い思い出ばかりです。 

 

 全ての行事が終わり、いよいよ帰国の途につく時
 (送迎の式典があり、その後乗車するのです)

 大柄な、女性の副市長が私を抱きしめ、

 「再見!再見!」

 汽車に乗車した私も

 「再見!再見!」

 と涙を流しながら大きく手を振って別れた事が
 まるで昨日のように鮮明に思い出されます。

 中国との友好都市を夢見て、実現させた渡辺茂廣氏は故人となっても
 邯鄲市との友好関係は20年経った今も続いています。

 中国に対して、良い印象を持っていた私の様な者まで
 中国が嫌いになってしまいそうで残念です。pout