インフルエンザ狂想曲のスタートを切ったSEY君が
1月27日、一服のお薬も飲まずに風邪を乗越え
更に元気な姿でお誕生日を迎えました。
身近な人のお誕生日には、夫々に思い入れがあるものですよね。
SEY君のを迎えるに当っても思い入れがあります。
そこで、今日は、SEY君のを迎えるに当っての
思い入れがあるその訳をお話したいと思います。
SEY君は、生まれた時、4000gを超える大きな赤ちゃんでした。
4000g超の出産にも拘らず、本当に軽いお産でした。
(妊娠前からひょうたん水を使っていたお蔭だとお母さんは言っていました。)
本当に、綺麗な赤ちゃんでした。
ところが、
産院から、母子共に元気で退院したものの
風邪をひかせてしまったのです。
生後間も無い赤子の風邪は気をつけないと・・・
と言われていますが、その言葉どおり、風邪は悪化し、
生後2週間目に肺炎を起こし入院してしまいました。
地元のでは手に負えないと言う事で
1時間以上かけて救急車で、大分の県立病院に運ばれたのです。
「あと、3時間遅れていたら危なかったです。」
担当医の言葉に、
我が子の生死は、紙一重の状態だったのだと知ったのでした。
3週間後に退院し、その後1週間目の検査の時
「喘息などの後遺症が出ると思います。」
それから、1年。
SEY君が1才になった時、
担当医から言われていた通り
喘息の症状が出るようになりました。
その後、とびひが流行った時に
SEY君も酷いとびひが出ましたが、
傷跡も残らず綺麗になりました。
「やれやれ、良かった!」と思うのもつかの間
今度はアトピーが出だしたのです。
「あいいの! あいいの!」
(痒いの痒いのと言っているのです。)
と言って手の届く所は自分で掻いていました。
アトピーの人は分かると思いますが、
お布団に入って温まると痒みが酷くなるのです。
SEY君も同じで、夜になると、お布団の中でボリボリ
たまらなくなると、お布団の上に座って
「あいいの!あいいの」
お母さんは、うとうとしながらも
一晩中抱きながら優しく掻いていたそうです。
子供3人の世話と経営しているお店の仕事。
SEY君のアトピーの痒みが治まるまで、
まともに寝た事は無かったと言っていました。
「良く頑張れるわねぇ。」というと
「我が子の事ですから。
我が子の為だったら、アトピーを治す為に、
たとえ清浄化が3年や10年続いても頑張りますよ。
医学的には治らないと言われているアトピーを治すのですから
右から左と簡単に行く訳はありません。
ましてや、自分の都合に合わせてと言う事も無いと自覚しています。
学校に行く様になって給食を食べたいのに
「あれはだめ。 これはダメ 」
子供の好むアイスやケーキも
「食べちゃダメ」
と言うのは可愛そうですから・・・。
それに、
人生を考えたら3年や10年はあっという間ですものね 」
と笑顔で言われた言葉を思い出します。
そして、その度に
「お母さん」って本当にありがたいものだなって思うのです。
SEY君が10歳を迎えた今
喘息は出なくなり
とびひの傷跡も無いスベスベの肌
アトピーは完治し、アイスもケーキもお肉も大好き
お母さんのお手伝いもよくしてくれるし
お勉強も頑張っています。
でも・・・
走るのは一寸遅いかも・・・(o^-^o)
ひょうたん水を使いながら
「良くなったみたいね」
「悪くなったんじゃない」
「そんなんで良くなるの」
など等をはじめ、
ここには書けない様な酷い言葉を浴びせ続けられても、
私を信じ、小さな変化も見逃さず、
ひょうたん水を信じ、使い続けて
喜びの結果を手にしてくれたSEY君のは
SEY君のお母さんの
SEY君に対する愛情の記念日でもあるのです。
写真は、そんな親子の感謝のです。
美味しそうでしょ
SEY君のお誕生日を迎える度に
このような愛情あふれる親子が増える事を願わずにはいられないのです。
SEY君にはお誕生日のを用意していました。
SEY君はお誕生日のをもらって本当に嬉しそう(*^-^)
のほかにもあります。
SEY君の目の前で、
最中に栗きんとんを詰めて栗最中を作ってしたのです。
自分の目の前で、栗きんとん最中を作ってもらったのが嬉しそう
「僕の為に、取り寄せてくれたんですか?」
「そうよ。SEY君のお誕生に合わせて送って貰ったのよ。」
それを聞いて、またまた
笑顔に勝るお返しはありません。(o^-^o)
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