対処療法と完治療法・根治療法の違い~癌に限らず病気を治す為に知っておくべき事~

癌を治して分かったこと。
 「対処療法」と「完治療法」「根治療法」では雲泥の差があると言う事。
 「原因解消の道」と「原因を棚上げにする道」があるという事。
 「治る道」と「あたかも治ったように錯覚する道」があるという事。

癌の恐怖から「逃げたい!逃れたい!」気持ちに捕らわれない事。

誰でも、「死」を強制的に意識せざるを得ない癌の恐怖から逃げたい。と思うのは当たり前の事です。私もそうでした。
ところで、この「目先の癌の恐怖から逃げたい。逃れたい。」という思いに囚われると正しい判断が出来なくなります。そして、「ただ、今のこの苦しみから逃れたい!」との思いを刹那的に満足させる方向へと自らを誘ってしまうのです。その結果、人の話を鵜呑みにしてしまい、その先にどの様な苦しみが待っているのか判断できなくなるという問題も出てくるのです。その結果は推して知るべしです。


「死にたく無い。」
「癌が消えればそれで良い。」
「とにかく今の苦しみが消えればそれでもう十分。」   


その様な思いは、正しい方向を見極められなくしてしまうのです。


「楽あれば苦あり」と言うのが諺に有ります。
自分では、楽を選んでいるつもりは無いのでしょうが、目先の苦しみから逃げる事(原因の解消をしない事や、自分は癌になる筈が無いと現実を認めない事など等)を選ぶと、思わぬ事になってしまうのです。
何故なら、例え治ったと思っていても、その手段方法はどこまで行っても「目先の結果」だけを求めているものだからです。


この点をしっかり把握しないまま、癌が消えたことだけ癌の病巣が無くなった事だけを喜んでいると、後に新たな癌の苦しみを味わう事になりかねません。


ここで言う新たな癌の苦しみと言うのは再発、転移と言うことです。再発や転移を繰り返して行くので更に深刻になって行きます。
場合によっては、薬や治療による副作用が表面化して来る事も有ります。

最悪の場合「もうこれ以上手の施しようが有りません。」と告げられる事もあるのです。
そうなると、「大丈夫だから。」とか「治るよ。」と言う耳さわりの良い言葉をうのみにする訳には行かなくなります。そして、その行き着く先が患者自身に見えて来て、「死」という霧に心も体も包まれていく様になってしまいます。

そういう状態になっても心のどこかには「それでも治るのだ!」「治るに違いない!」との想いはあるものなのです。

自分で克服することの大切さ

「目先の癌の恐怖から逃げたい。逃れたい。」という思いに囚われた人は、癌の原因を解消しようとはしない事が問題なのです。
これが癌を治せない最大の原因なのです。


「何故癌になったのか?」「どうして癌になったのか?」
「何が悪かったのか?」「癌は消えたのか?」
「手術をするという事はどういうことなのか?」
「薬を飲み続けると言う事はどういうことなのか?」
手術をしたけれども、「本当に癌が治ったと言えるのか?」
医者は医学的に適切と思える処置をしてくれた筈なのに「どうして癌が再発してしまったのか?」etc


この様な点をしっかり把握していないから、癌が再発したら対処する術がなく、死に怯えながら少しでも生き永らえようとして手術を繰り返すか、更に強い抗癌剤を使うか等の医学に頼るか、あるいは、諦めるしかないのです。

これは、最新のがん治療で治した癌も同じことです。

確かに治療をすれば症状は一時的に改善しますし、その後の対処法もあるとは思います。
また急場をしのぐ意味では一時的にでも症状を抑える事が必要な場合もあるでしょう。
とりあえず、手術をして、急場を凌がなくてはならないと言う場合もあります。


病気と薬全般に言える事ですが、本来薬を使用する目的は、症状を一時的に抑え、その間に体が持つ自然治癒力により治癒する事を期待するものです。

同様にがん治療においても、一時抑えが効いている状態の時に、如何に少しでも癌の原因を解消していく力(自然治癒力・免疫力・生命エネルギー)を付けて行くかどうかにかかってきますが、患者自身と家族の生活面での力量と愛情が問われてしまうのです。

そして癌を克服する本当の意味での力量が患者と家族に備わっていないと、残念ながら命がある間に癌を解消して、その喜びを手にする事は出来ません。


一方、癌の本質を把握していると、再発しても慌てる必要はありません。

それは、再発した原因を考えられる自分自身の経験が基本にあるからです。


実は、癌を完治させる大切なポイントがここにあるのです。


これは「風邪かな?」と感じた時に、早めに対処するのと似ているかもしれません。
急性疾患にせよ慢性疾患にせよ、基本的な対策は同じなのです。


たとえどの様な病気にしても、ある日突然その病気になった様に思いがちですが、必ず前兆、兆しと言うものが有るのです。その前兆を見逃さずに早めに対処できたなら、深刻な病気にならずに済むはずです。
しかしながら、前兆と言うのは、ともすれば一寸した痛みであったり、一過性の違和感であったりします。

例えば、「なぁんだ。何とも無かったわ」とか、「お薬を飲んだらすぐに楽になったわ」とか、「しばらく横になったら落ち着いたわ」と言う程度の事が多いのです。


ですから、自分自身を愛し自分自身を慈しむ心が無ければ、また、家族を愛し家族を慈しむ心が無ければ、一寸した前兆に気付く事は出来ません。自分自身を愛していなければ、ほんの僅かな体の変化を感じ取る事は難しいのです。愛を高める事がいかに大切かが分かると思います。

自分自身を愛しむ事が出来てこそ、自分で癌を乗り越える事が出来るのだとすれば、自分で治した癌は再発する確率が極めて低くなるのは、当然の事と言えるのではないでしょうか。

体感することの意味

癌を克服する過程で「体感」し分析する事は、重要な事なのです。


例えば根治療法を継続する過程で変化が出ると、「えっ!痛みが楽になったみたい」とか「まさか?こんなに排泄があるなんて」とか「熱を出した後、体が楽になるって軽くなるって本当かも・・・」等と言った様々な変化を体験するようになります。

この「えっ!」とか「まさか?」「本当かも・・」と言う体が感じる変化がどういうものかと考える事が大切なのです。

何故なら、この体感を積み重ね分析することで癌を完治させるためのポイントや方向性が自分なりに身につくようになるからです。



例えば、自分が今まで、「下痢や発熱はお薬で止める」という事が当たり前だったのが「熱や排泄で体の汚れを出しきる事で体が楽になるから、解熱剤などは必要ない」と体感できると、発熱や下痢をした時に、お薬を飲む必要はないのだと、認識できます。



このように、「良いと思ってして来た事」「良いと思って体に取り入れていた物」「特に意識もしていなかった事」など等に対し、体感する事で本当に良いものかどうかを考えたり、自分は良いと思って選んだものだけれども間違いなかったかどうかと考え直したりします。

悪いと判断できたものは誰もが納得する形で修正、是正すると言う事が当たり前になって行くことで段々と癌の解消の道筋が出来てくるのです。



他にも、食べ方、歩き方、座り方、等の姿勢を良くする事で内蔵の働きや、血流が良くなってきます。明るい言葉を使って、正しい会話をする事で、自分自身や周りの自分の支えてくれる人達との信頼関係を深め、精神的な苦痛を和らげ、癌を乗り越える力となるはずです。

このように、関係無い事の様に思えると思いますが、こう言った些細な事が癌やその他の病気や不幸の原因になっている事を知って頂きたいのです。


つまり、「これで良い」とか「これではダメだ」と言った感覚が、日常生活の中でも自分なりに把握できるようにすれば、癌を克服する道につながると言う事なのです。


なんでも無い事のようですが、この様な体験経験が「癌完治への道」では不可欠なのです。

何故なら、自分自身の体験経験の積み重ねによって得た結果は次の結果に結び付けて行けるものだからです。

そして、それは他人に治して貰ったのではなく、患者自身が自からの力で癌を治して行く事に繋がっているからなのです。


そこには必ず自分なりの試行錯誤や葛藤や悩み不安や辛さ等が有った筈です・・。そして、その一つ一つの苦しみを乗り越えてこそ、本当の喜びの結果を手に出来るのです。


ちょっと難しく聞こえるかも知れませんが、「癌を治す」と言うことは、そういう事だと思います。
但し、間に合うかどうか間に合わせきるかどうかは、本人と家族の努力次第です。


これは一時しのぎ的な話とは違うだけでなく、人生をより良き姿に立て直す道筋でもあるのです。

「完治」と言うのは、誰かに治して貰った「対処療法」とは根本的に違い、癌になった当人だけでなく、家族も共に不安の無いより良い人生を生きる為の力として行けるのです。

同じ苦しむのだったら、完治を目指しませんか。

次のページでは『結果を生み出すのは一日一日の積み重ねです』についてお話します。