癌を完治する為にして来た事
癌を乗り越えてこられた方は、私以外にもいらっしゃる事と思います。
ただ、その結果が、寛解(かんかい)(症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態)または改善であるのか、完治であるのかの違いはあるはずです。
また、お医者様の診断の基準や、完治に対する捉え方も様々だと思います。
私は、患部を切除したり、抗がん剤を飲み続けなくてはいけないという状態は、たとえ癌細胞が無くなったと診断されたとしても、完治ではないと思っています。
私は、手術をしませんでした。そして抗がん剤などの薬も一切服用しませんでした。
もちろんサプリメント等も、摂っていません。
お薬や手術も場合によっては必要な場合もありますし、体の中の事を客観的に調べる為にも必要だと思っていますので、私は決して医学を否定している訳ではありません。
ですから、手術もしない、抗癌剤等の薬も飲まないと決めても、不定期的でしたが、受診し、医師に癌の状況を診断していただく為に検査をして頂いたのです。
「ならば、どうやって、癌を完治させたのですか?」と問われると思います。
私が、癌完治のためにしてきた事は基本的には次の様な事です。
- 癌である事を認め、その事から逃げずに、真正面から向き合う事。
(決して癌と闘ったわけではありません)癌と戦えば必ず負けます。即ち死です。
- 不平不満を出さない事
癌になったのは、誰のせいでもなく、自分に原因があることを自覚し、家族や他人、ましてや神様ご先祖様に「神も仏もあるものか。」とか。「うちはこういう家系だから。」等の恨み言は決して言わない。
私は、癌で苦しんでいる間もその様な思いを微塵も出さずに過ごしました。
- 一日生かされた事を心から感謝する事。
目が覚めた時に、今日も一日生きる事が許されたと手を合わせていました。
(なにしろ、一日の終わりにカレンダーに×印をつけ、後何日生きられると就寝していたくらいですから)
- 自分自身の体を慈しみ、当たり前でない体にしてしまった事に、お詫びをする事。
目が見える事、指が動かせる事、呼吸が出来る事、一つ一つに感謝をしました。
血を吐いて倒れた時でも、この様な体にしてしまった事に、お詫びをしました。
体内にある汚れを出して「本来の姿を取戻そう」と頑張り続けました。
- 不安や不平不満の想いを出さない事。
「いつになったら、良くなるのだろう。」「いつになれば癌は消えるのだろう。」とは考えない事。家族も一言も口にしない事、心にも浮かばせない事。
なぜなら、癌と言う症状が出なくなるまでは、癌の原因となっているものを体の外に排泄されるまで続くのは当たり前だという事を自覚していたからです。この様な言葉や思いは、却って病気を悪化させたり長引かせたりする原因になるからです。
- 体力をつけるために、食べ込む事。
食べるという事は、生命を維持する為に必要不可欠な行為です。
食べなければ、死につながります。
しかしながら、ただ食べれば良いというものでもありません。
良い自然エネルギーを蓄え持つ食べ物を、感謝の思い家族への愛の思いを込めてで調理し、お陰様の心で感謝をして頂く事が肝要です。
添加物や農薬などの化学物質の入っていない食べ物を手に入れる事は大変難しい時代ですので、私は自然の良いエネルギーを手軽に簡単に摂り入れる事が出来る様にとひょうたん水を開発したのです。
更に、癌になると食べる事すら辛い状況になります。ですから、ただ食べるだけでなく少しでも多く食べ込む事が癌を乗り超える為には大切な事なのです。
私の場合は、毎日、10回は嘔吐していました。起床して吐き、食前と食後に吐く。更に、食間や就寝前にも吐くという状態でした。何か口に入れれば吐くという癌の状態にまでになっていましたが、吐くのが辛いから食べないとか、食欲が無いから食べないと言う事はしませんでした。
食べなければ死ぬだけです。
味覚が麻痺して砂を噛んでいるようにしか感じられない時であっても、
あごを動かす力が無く、飲み込むのがやっとの時も、また、お箸の重さが辛くなった時も、自分の血肉となってくれる食べ物に感謝をして頂きました。
例え吐いても、一度体内に入ったものは、いくらかでも体に残り、それが自分の力となっている事を疑いませんでした。
(点滴1本よりも一口の食事の方が体に力がつくと言います。主治医からも、「食べる事が味方を増やす事になるのだから、太るとか体形の事など気にせずともかく食べなさい。」と言われました。)
- 家族の支えを頂く事。
重篤な病気は自分一人で乗り越えられるものではありません。
精神的、肉体的、経済的等々、家族の支えなくして乗り越えられる様な生易しいものではないのです。
私の場合は、どうせ、余命3ヶ月しかないのならば、体を切り刻んで、病院のベッドで残りの人生を生きたくはないとの思いを、家族は受け止めて支えてくれました。
完治した後に、家族が医師や周りの人から、「なぜ手術をさせないのか」「親として何をしているのだ」等と、かなり非難されていた事を知りましたが、闘病中の私にそんな事を全く気付かせもしませんでした。
中途半端な慰めも家族はしませんでした。癌の苦しみを乗り越えるには、大変な強い意志と忍耐力が必要であった事は言うまでもありません。
もともと末っ子の甘えん坊で、人に頼りがちな弱い面があるのを母親は知っていましたから、家族は、出来るだけ私が自力で乗り越えられるように、私が頼り過ぎないようにしたり、心がくじけないように厳しくしたり、必要な時には優しく支えてくれました。
- 不定期的にでも、癌の状況を検査をする事。
体の状態は客観的に判断しなければなりません。その上で、どの様な対処をするか、どの様な治療を選ぶかは自分の責任で決めなくてはならないのです。
勿論、医師は、最新の医療情報を基に治療されます。しかしながら、選択をするのは自分自身なのです。人任せにしては後悔する事になりかねません。
あなたの命はあなた自身のものであり、無二のものであり、かけがえのないものなのですから・・・。
私の場合は、あとどれくらい生きられるのかを医師に診断していただき、少しずつ、伸ばされた寿命を、この世で与えられた時間を、癌の原因を少しでも排出し、体を綺麗にして行くのだとの考えで嘔吐などの清浄化を日々乗越えながら、大切に過ごしました。
肉体は、その人の考え方や、心のあり方に強く左右されます。
学校や会社で嫌な事があって、学校や会社に行く事が辛くなると、お腹が痛んだり、熱が出たり、体が動かなくなったりするという事があります。
逆に、何が何でもしなくてはならないと強く思うと、動けなかった体が動けるようになるということもあります。
私の行ってきた事は、多くは、自分自身に向き合って、お詫びと感謝を繰り返しつつ、決して病気と闘わず、少しの喜びを大きく膨らませて、顔色が悪くても笑顔を絶やさず、出来るだけ周りの人に自分の苦しみを悟られないようにしてきた事です。
「まぁ、若いのに可哀相・・・」と言うような、哀れみの言葉を聞きたくなかったということもあります。言葉で慰められてもどうしようもありませんし、かえって相手の方に要らぬ心配をかけることになるからです。
癌になった方の中に時折、無意識のうちに悲劇のヒロインにでもなったような感覚に陥られる方がいらっしゃいます。実は、私もそうでした。自分では意識していなかったのですが、癌の告知を受けた時にどこかで余命いくばくも無いと言う不安と苦しみに震える気持ち現れの一つなのだと思います。
そんな時、叔母の「悲劇のヒロインにでもなったつもりじゃないの?」との一言で、「あぁ、そうだ。自分を哀れんでなんになるだろう。現実に向き合わなくては」と、目が覚めたのです。
子供の頃から、折にふれ両親から「悲しい事だけれど、人も動物もいつかは必ず死ぬ時がくるのですよ。」とか「生まれたら必ず遅かれ早かれ死がやってくるのですよ。」「だからこそ、お天道様に顔向けできない事はしてはいけないのです。」「子供は親より先に逝ってはいけない。親より先に死ぬ事は一番の親不孝ですからね。」等と言われていた事を思い出したのです。
そして、「死」に対して、正面から向き合う事が出来た時に、後ろ向きの思いは薄れ、いつ死を迎えても悔いの無い人生を送ろうと決めたのです。そして、決して親より先に死んではいけない。母に私の死を見せてはならないとの思いが込み上げて来ました。その時に、本当の意味で癌を完治させるという強い思いが確立したのではないかと思います。
自分の体に起きた苦しみは、誰かに頼んで取ってもらうものではありません。その苦しみは自分自身で取り除く為の努力をして乗り越えていかなくてはならないのです。
何故なら喜びも苦しみも、自分自身の生きて来た結果です。
ですから、その結果は自らが責任を取らなくてはならないのであり、自らが解消、解決して行かなければならないからです。
若干30歳にもならない、私が乗り越えてきた道です。
私と同じ事が出来れば、癌を乗り越える事は出来るのではないかと思っています。
28歳の時に余命3ヶ月と宣告された癌でさえ乗り越えられたのですから、私が身につけた一つ一つを実践し、我がものとされていけば、アトピーや精神的な病や様々なお悩みを持つ方でも、きっと、その苦しみを乗り越えられると確信しています。
私の癌の体験に関心を持たれたあなた様の希望の道を歩まれる一助となることを祈念しております。
次のページでは『癌が治らない理由』についてお話します。
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