癌を治せない理由
癌になったという事は、癌になった原因や要因要素があるはずです。
癌を治す為には、癌の原因や要因要素を知る必要があります。
私が癌を完治する事が出来たのは、この原因や要因要素を見出したからに他なりません。
癌は「自分で治す」のです
「お医者さんは病気を治すプロだから、言うことを聞いていれば治るだろう・・・。」
長い間、私は何の疑いもなく、お医者さんを信じお薬を込んでいました。
子供の時からお薬が好きで、「病気になればお医者さんに。」「病気になればお薬を飲めば治る。」と思っていたのです。
正直な所、医者任せ、薬任せで自分が積極的に治療に関与しようとは考えもしませんでした。
ところが軽度の場合や怪我ならともかく、癌や不治の病と言われている病気は、医者任せでいる事は出来ません。
癌や不治の病と言われている病気を、お医者さんに全てをお任せにするということは残念ながら「治らずに死に向かって行く」と言うことを意味します。
何故なら、医師は、傷とか症状に対して適切な処置をするのがお役目であって、治すのは、自分自身の自然治癒力だからです。
治りたいのなら、生きたいのなら、自ら行動を起す事が、今ある状況に何らかの変化をもたらす可能性があると考えられるのです。
しかしながら、「自己判断で病気を治そうとしてはいけない。お医者様はプロフェッショナルなのだから、全てお任せすれば良いのだ。そうすべきだ。」という考えもよく耳にします。
けれども、上記の理由と、新しい情報を取りこぼさない為にも、また、偏った情報にとらわれない為にも常にアンテナを張り巡らせておく事は大切です。
癌を始め病気を治す為には、癌などの苦しみを生み出した原因や要因要素を追求することが必要です。
当たり前の事ですが、原因が分かり、その原因を解消することができれば病気は良くなるはずです。
例えば、骨折であれば、レントゲンなどで折れた箇所や折れ方などを確認して、骨を接いでギブスをはめて固定します。切り傷であれば止血をして、傷口を閉じます。
あとは、自分自身の治癒力が傷を段々と治してくれます。ただし、傷口が残ったり、骨折の状況などによっては、何らかの後遺障害が残ったりする場合も考えられます。
例えば、交通事故などによる人体の損傷などは、止血縫合など一刻を争う処置が必要になる場合があります。その様な時は医師や病院の医療設備の有無が生死を左右する事もあります。
けれども、そういう事故などの場合と違い、癌の様に原因が複雑で特定できない病気を現代の医療方法やお薬で治そうとする事自体無理が有るように思います。
最新医療技術や新薬が発表されるたびに、「医学の進歩は凄まじい」と、それらの治療法に期待を寄せる人も多いことでしょう。
ただし、最新医療と言うものはある意味では未知のものですから、たとえ現時点では良いと判断されていても先々思いがけない副作用が出る可能性は否めません。
ましてや、期待されるような結果を手に出来るかどうかは、可能性はあるものの確実な事は言えるのでしょうか?
もしかすると医学発展の為に、モルモット的な役目をする事になるのかも知れません。
ここで、誤解の無いようにして頂きたいのですが、私は、決して医療機関を否定しているわけではありません。
ただ、原因も分からない、不治の病を、治るかどうか分からないお薬を飲んで、副作用に耐え、お医者さん任せにする事は、本当に正しい選択なのかと疑問に思うからなのです。
ですから、様々な資料と自分の過去を振り返って考えられる範囲での癌の原因を追求し、あらゆる現象から「もしかすると・・・」等と仮定しながら、自分に出来ることから手探りで、治すための努力を何らかの方法でするべきであると思うのです。
ほとんどの医師は、現在の医学知識からも手術や投薬で治療をします。その治療方法で症状が改善され症状が出なくなるということは、それはそれで正しい判断と治療であると思います。
大抵の病気やケガが病院や医師の手によって治療を行う事が出来るとしても、治らないと言われている癌やアトピー等の場合、そうは行きません。
私が、「癌は自分で治す」と言っているのは、癌を治すには、「医師の力量や医療設備の優劣より、患者自身が癌を解消する為に行う地道な努力の方が、はるかに癌を治す力となる」と言うことなのです。
私は、癌を治すのは医師や最新の医療設備や薬などではないと、自分自身の体験からも確信しています。
けれども、自分が癌であると言う事実に正面から向き合う為には、最新の医療設備が必要である事も否めません。
また、私の場合幸運だったのは、手術や投薬を強要せずに患者に対して暖かく向き合い、患者の意思を尊重した上で最善の方法を考えて下さり、時間を惜しまず信頼関係を築いて下さるお医者様に出会えた事です。
苦しい癌を自力で乗り越える上で、心の支えとなる医師の存在はとても大切な事だと思います。
私の主治医であった、織部博史先生は、「頑張っていても、どうしても痛みに耐えられなくなった時は、真夜中でも構わないから遠慮しないで病院にいらっしゃい。」と言って下さいました。
たとえどんなに痛んでも、恐らくその様なお願いをする事は無いだろうと思ってはいても、その言葉が、どれほど私の心の支えになったか知れません。
毎日続く激しい痛みと嘔吐を乗越える私にとって本当に有り難いお言葉でした。
病を本となし工を標となる
【病を本となし工を標となる】と言うのは、病気を治す際の主役は病人自身で、医師はただその補助的役割を果たすに過ぎない。また、病人自身に自然治癒力が備わっていることを説いたものです。
この言葉は、古くは紀元前202年の前漢代の頃から編纂され始めた中国最古の医学書と呼ばれている『黄帝内経・素問(こうていだいけい・そもん)』の、湯液醪醴論篇(とうえきろうれいろんへん)に書かれていたものです。
私はこの言葉を、自分の体でありながら、他人任せ、医者任せと言うのは自分に対して無責任と言うことであり、無責任では癌は治せないのです。自分の体は自分が責任を持って治して行くというのが根本になくてはなりません。その上で、医者の知識や医療技術を活用して行く事が大切なのです。
ましてや、命に拘わる重篤な病の場合は、命に終わりが迫った時に、「お医者様も出来る限りの事をして下さったし、やれる所まで頑張ったんだ。仕方が無い。」と納得しながらも、心の片隅では「お医者様を信用して言われた通りしたのにとか、診断ミスや医療ミスがあったのではないか・・・」などと人を疑ったり恨んだりすることにもなりかねませんので尚更だと思います。
また、医学の父と言われる古代ギリシャの医者ヒポクラテスの格言の中にも、「病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである」という言葉があります。
西洋においても東洋においても、もともとの病気に対する考え方は同じだったのかも知れません。
癌を治すのはクスリですか?
癌は、クスリで治すような病気ではありません。
この事実を裏付ける話をしましょう。
医療方法の新技術が開発されたり、新薬が開発されたりしていますが、癌患者は減りましたか?
それどころか、30年ほど前は、珍しかった癌が、何時の頃か、5人に一人となり、それが、3人に一人となり、今日では2人に一人と言うように増えています。
これこそが「現代医学や薬の限界」を示している事ではないでしょうか。
つまり癌に画期的な新薬が開発されても、ただそれだけでは根本的な解決策にはならないと言う事なのです。
例えば、抗癌剤を飲むと、癌細胞だけを殺すのではなく、普通の健康な細胞をも殺す事になります。これによって全身の細胞の活動が消耗し、癌を克服する為の免疫力が下がるのです。
たとえ、癌細胞のみをアタックする技術であっても、体全体から見れば癌細胞がある状態であっても、それはそれで、バランスを保っている訳です。
癌細胞のみをアタックする技術だから、他の健康な細胞に大した影響は無いから良いと言われていますが果たして本当に良いのかどうかは疑問です。
体の中には60兆にも及ぶ細胞があると言われていますが、その細胞のいくつかがストレスや無理をしたことで癌細胞になるといわれています。健康な人でも癌細胞ができていて、その癌細胞を白血球のリンパ球による抗原抗体反応によって抹消してくれているわけです。そのリンパ球が、抗癌剤によって真っ先にその力を失わされると言う事は、どういうことになるかお分かりになると思います。
癌による死亡率が高く患者数も多く利益が見込めることから、多くの企業や研究者がクスリの開発に取り組んでいます。ワクチンもその一つです。
しかしながら、結局の所、癌を直接治せるクスリは開発できないのです。ましてや、効果があると言われているワクチンに本当に効果が有ると言いきれるのでしょうか?副作用は無いと言い切れるのでしょうか?
これは、風邪薬とよく似ています。
そもそも風邪を直接治せるクスリの開発は不可能だからこそ、風邪薬と水虫の薬を開発したらノーベル賞ものだと言われているのをご存知と思います。
更に、癌の三大療法、「手術、抗癌剤、放射線治療」で、癌患者の8割が死んでいると言われているの知っていますか?
既にアメリカではこれらの方法は無効だと宣言されているのですが、日本ではいまだに、この方法が唯一のものとして指導されていると言う現状なのです。
つまり、結論から言うと、癌を対症療法ではなく、完治させたいとお思いになるなら薬に頼ってもだめと言う事なのです。
薬はあくまでも症状を抑える為のものであって、症状が抑えられている間に体力を付け病気を乗り越える力をつける事が大切なのです。薬に依存する姿勢を正さない限り、たとえ、癌などの症状が一時的に良くなったとしても副作用などで苦しむ事になるのです。
私の体験から言いますと、癌を治すのに特別な治療をする必要はありません。
治療をすればする程、残念ながら生命力は低下していくのです。癌は高度医療にお金を掛けたからと言って治るような病気ではない証です。
「癌に関しては治療をしないのが治療」という医師もいらっしゃるくらいです。
癌を本気で治したければ、まず患者自ら治すための地道な努力を継続する。
これがもっとも確実な方法だと思います。
癌を完治させたいと思うなら、まずは「自分で治す!」と言う覚悟が必要です。
勿論、癌を完治させるのは容易い事ではありませんし苦しいです。
けれども、手術をして抗癌剤などのお薬を使っても、痛むし、苦しいし、辛いのです。
「同じ苦しい思いをするなら、少しでも完治の道を歩みたい!」と思われた方でなければ実践は難しいと思います。
癌を乗り越えて喜びを手にする為には、まず「癌という事実を認める」ことが大切なのです。
そしてそこから、癌を乗り越える為の一歩が始まるのです。
【 参考 】
※ 「湯液醪醴」とは、
一般に漢方薬術のことを湯液(とうえき)と言います。湯液も醪醴(ろうれい)も五穀を原料として作られたもので、五穀を煮詰めたときに出来る上澄みが湯液、さらにこれを煮詰めた上で発酵させたのが醪醴です。
五穀とは、粳米(こうべい・うるち米の玄米のこと)・小豆・麦・大豆・黄黍(こうしょ・きびのこと)です。
※ ヒポクラテスの格言
- 「火食は過食に通ず」
- 「満腹が原因の病気は空腹によって治る」
- 「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」
- 「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」
- 「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている」
- 「人間がありのままの自然体で自然の中で生活をすれば120歳まで生きられる」
- 「病人に食べさせると、病気を養う事になる。一方、食事を与えなければ、病気は早く治る」
- 「病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである」
次のページでは『癌を乗り越える為の基礎知識』についてお話していきます。
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